地獄の映画録

「ここは地獄なのかよクソ!」が口癖の映画レビューです

「ディストピア映画20傑」にディストピア映画はいくつ入っているのか

ディストピア=暗くて暴力的な近未来?

eiga.com

 ディストピア映画20傑が選ばれたらしい。どういった映画が選ばれているのかは実際に記事を参照してもらうとして、1位の「ブレードランナー」にしても3位の「AKIRA」にしても、これディストピア映画だったのか?という疑問を呈したくなる選出となっている。

 ディストピアものの定番といえば、表題と同じ年に映画化され、20位にもランクインしている「1984」。体制の監視下におかれ、人間らしい活動が制限されながらも、幸福な生活を送っていると信じ込まされる管理社会。偽りのユートピア

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 wikipediaには、その特徴として次のように記されている。

平等で秩序正しく、貧困や紛争も無い理想的な社会に見えるが、実態は徹底的な管理・統制が敷かれ、自由も外見のみであったり、人としての尊厳や人間性がどこかで否定されている。

ディストピア - Wikipedia 

 「ブレードランナー」において黒幕的な役割を担うタイレル社は一企業。「AKIRA」には政府よりも軍部が関わってくる。確かに階級や貧困、抑圧といったものはありそうだが、上部組織から積極的に自由が奪われているとは感じにくい。

 7位の「マッドマックス2」なんてもはや無政府状態だし、15位の「12モンキーズ」や19位の「バトル・ロワイアル」も、作品の大筋がそういった社会状況とは無縁のところで展開する。

 

 別にジャンル論争をするつもりはないけど、近未来が舞台の暗くて暴力的な映画なら全部ディストピアだろ、とか考えてそうじゃないですか? この結果を見るに。

 というか16位の「審判」ってカフカのをオーソン・ウェルズが映画化したやつですよね。そんなものまで含めていたら、今の世の中だってよっぽどディストピアですよ。

 むしろ明らかにディストピアもので、知名度もある「Vフォー・ヴェンデッタ」や「リベリオン」辺りが入っていないのは……まあ、映画の出来としては納得できても、せっかくテーマに沿っているのだから、入れてあげてくださいと思う。

 

 何はともかく20本のうち半分ちょっとしか見てない人間が言うのもアレなので、つべこべ言わずにちゃんと見ますね。

 ちなみに僕がこの中で一番好きなのは「ゼイリブ」です。

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ソ連映画から読み解く政治的寓意性

映画をむしばむ検閲制度――「アンドレイ・ルブリョフ」

 旧ソ連における検閲制度は、スターリンが独裁権力を持った1930年以降に厳しさを増し、そこでは新聞、書籍、雑誌といった印刷物ばかりでなく、映画、ラジオ、演劇、絵画、造形物、歌、ダンスなどあらゆる情報伝達、表現の媒体が検閲の対象となった。

 スターリン死後の雪解け時代を経て、1964年のフルシチョフ解任、ブレジネフの登場を受けて、ソ連言論統制は新たな冬の時代を迎えることになる。タルコフスキーの長編2作目「アンドレイ・ルブリョフ」が制作されたのも、ちょうどその最中だった。

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 1966年に完成した「アンドレイ・ルブリョフ」は、タタール人による侵略という屈辱的な歴史を描いたことが、映画行政当局や歴史学者から非難され、公開を先送りにされる。そこにはおそらくフルシチョフ以来の宗教弾圧の影もあっただろう。

 1969年には国内での一般公開を待たないうちにカンヌ映画祭へ出品され、国外からの大きな評価を得たのち、1972年にようやく当局の要求に従って20分ほどカットされたバージョンが一般公開に至った。監督本人によれば、このバージョンがブラッシュアップされた完全版らしく、検閲によって必ずしも作品の質は落とされなかったという。

 この件において当局との溝が決定的になったタルコフスキーは、1975年「鏡」においてスターリニズム下の印刷所で働く母親が誤植に異常なほど慌てるシーンを描くなど、検閲制度に対する不満を作品の中へ落とし込むと同時に、「惑星ソラリス」「ストーカー」などその難解な作風の中へソ連という国の閉鎖的な状況を映し出していく。

 そして「ノスタルジア」完成後の1984年、すでに規制緩和を進めていた当局をよそ目に彼はそのままイタリアへ亡命した。

 

ナンセンスの裏の寓話性――「不思議惑星キン・ザ・ザ

 1986年12月に公開されたゆるゆるSF冒険コメディ「不思議惑星キン・ザ・ザ」はソ連国内で驚異的な観客を動員、「クー」「キュー」ですべてが通じるという言葉の壁を越えたコミュニケーションもあってか、世界中でカルト的な人気を博した。

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 前述の通り当局の検閲は緩和の一途を進み、1985年にはゴルバチョフ書記長が就任。1986年5月には映画界のペレストロイカとして、ゴスキノ(ソ連国家映画委員会)の官僚主義が徹底的に批判され、公開が差し止められていた映画の解禁、タルコフスキーなど反国家的とされた映画人たちの復権が始まっていた。

 「不思議惑星キン・ザ・ザ」において主人公たちは砂漠の惑星に飛ばされてしまう。その惑星の文明は支配者階級と被支配者階級に分かれ、マッチ棒が貴重なエネルギー兼通貨として経済が回っており、「クー」「キュー」という会話だけで通じ合ってしまうディストピア

 搾取する側と搾取される側に分かれた階級闘争。物質主義とは名ばかりの原始的資本主義経済。言葉はシンプルに削ぎ落とされ、複雑な表現を必要としない。これがソ連社会への皮肉や寓意的描写でなくて何であろう。

 しかし、そんなことを考える気にならないほどお気楽な作りが当局を惑わせたのか。この映画が人口に膾炙したということ自体が、当時の国家体制の変容を物語っている。そして観客たちに至っては、ペレストロイカの時代における期待と戸惑い、その隙間にするすると入り込んでくる作品だったのかもしれない。

 

崩壊間近のおさらい的悪ふざけ――「ゼロシティ」

 そして1991年12月のソ連崩壊――に先立つ4月、どさくさに紛れるように公開されたのが、前述の二作からは少し知名度は落ちるが「ゼロシティ」である。

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 モスクワから仕事で街に来た主人公は、なぜか全裸の秘書に通され、レストランで自分の顔のケーキを出され、さっさと帰りたいのに不条理な出来事の連続で、挙句の果てに知らない子どもに「お前は死ぬまでこの町から出られない」と予言されてしまう。自分の意志では何もままならず、ただ悲哀を漂わせながら混沌の渦に呑みこまれていく。

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 ペレストロイカによる混乱の時代。素っ裸なのにそれを気にも留めないこと。複製された自分(中身はケーキ)をふたたび自分の中に取り込むこと。突然父親と教えられた人物と、その死に息子としての行動を迫られること。これらはいずれも政治的指導のメタファーなのだろう。

 初めてロックを踊ったとする父親が民主主義の嚆矢ならば、それを咎めた検事はスターリニズムの残滓。蝋人形館での神話から現代までの歴史案内はおさらいとして、最終的にそれまでの人物が思想や人種の分け隔てなく、一室に集まってくる。

 そして立場が違ってもみんな同じ歌を歌いだし、弾圧されてきた信仰の復活を見届ける。しかし、現実がそんなにうまくいくわけがない。この映画は最後までペレストロイカの矛盾と理想を皮肉っているのだ。

 居心地が悪そうに逃げ出し、湖へと船を漕ぎだす主人公。その先に何があるのかは、霧に包まれて見えやしない。

 

混沌は混沌のままに――「フルスタリョフ、車を!」

 1998年、スターリン時代の終焉を描いたアレクセイ・ゲルマンの「フルスタリョフ、車を!」が公開され、ソ連という国が無くなった後も、その混沌は混沌のままに回想された。

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 長回しのカメラの中に入れ代わり立ち代わり現れては消える人影と脈絡もなく飛び交わされる台詞の数々。語り手(監督)の思い出としての冬、ソ連、子供時代があれもこれもと一瞬に凝縮された密度に圧倒される。

 誰が誰かもわからないまま個々人が好き勝手にふるまう家も家なら、誰もが要領を得ないまま忙しなく動き回り、奇怪なもので溢れかえる病院も病院。ここはサーカスか?はたまた動物園か?

 それでもたまにハッとさせられるのは、インク漏れのペンであったり、逃がされた鳥であったり、ふとした拍子に生活を疎む会話。それらはどれもが当時の人々が陥った状況であり、取らざるを得なかった行動であり、口にしたであろう台詞なのだ。

 また、監督自身が「わかったという人は教えてくれ」と冗談めかすように、読み解くことが不可能なイメージそのものを見る者に体験させる意図もあるのだろう。

 ロシアという国は歴史上タタール人の侵略に遭い、キリスト教も独自色を持ち、マルクス・レーニン主義によって支配され、政治も宗教も民族も文化も全部ごちゃごちゃだけど、それらすべてを広大な土地の上で育んできた。

 タルコフスキーが回復しようとした自然の下の秩序。アレクセイ・ゲルマンが再現した人為の下の混沌。そのどちらもがロシア的なものであり、理屈で読み解けないものなのかもしれない。それももう、笑い飛ばすしかないほどに。

 

「百万の眼を持つ刺客」――愛が人類を救う?インターステラー顔負けのB級SF

百万の眼を持つ刺客 [DVD]

開始1分、パッケージ詐欺

半裸の美女に襲いかかるおぞましい怪物。

THE BEAST WITH 1,000,000 EYES!

というインパクトのあるタイトル。

 高架下の中古レコード屋(レコードが通路にまで平積みにされている)でこのDVDを発掘した時の胸の踊りようといったらなかった。

 「傑作SF映画選」とか書いてるし、もう間違いなく傑作だろう。買いだ!

 

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家に帰って早速再生すると、発泡スチロールで作ったみたいな地球をバックに、いきなり地球を侵略しに来たという粘土で作ったみたいな《目》による独白が始まる。

「地球を手に入れるのだ。何百万光年も彼方からこの星に辿り着いた。間もなく船は地球に着陸するであろう。この星を手に入れる。我々は人間の恐怖心と憎悪をエサにして生きている。肉体や血がなくとも私には強い精神がある。地球を手に入れる。まず思考を停止させ動植物を支配する。そして弱った人間を私の命令通りにする。皆私の耳となり目となり世界は私のものとなる。お前たちの所業はすべて見えているのだ。私は百万の眼を持つ刺客だ。」

  いきなりの宣戦布告です。

 今でこそ侵略ものというと敵の正体がわからなかったり、能力がなかなか判明しなかったりというスリルを楽しむ趣向のものが多いと思うんですが、この映画は開始1分で全部説明してくれます。親切ですね。

 そして太文字の箇所。あまりにも唐突(というか始まってすぐ)だったので、そのままスルーしそうになったんですが、なんか引っかかりませんか?

 だって肉体が無いなら、パッケージの怪物はいったい何なの?

 

 ……?……………

 

 ……………あっ!!

 

 騙された!!!!!!! 

 

 ぶっちゃけパッケージから醸し出されるB級臭に、騙される気満々だったので期待通りではあるんですが、まさか開始1分も経たないうちにパケ写詐欺を明かされるとは思いませんでした。

 しかし、その後に始まるオープニング。これが美術面に音楽がうまいこと合わさって、ものすごいカッコいいんですよ。低予算なのもここだけは味があって、正直この映画の一番の見どころだと思います。

 

 ほぼインターステラー

 映画の舞台は荒野に面した農場。そこで暮らす農夫とその家族が中心となってくる。

 家族構成は、漠然とした不安を抱える夫と、なんだか常にイライラしている妻。

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高校卒業を控えた年頃の娘と、彼女になついている犬。

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そして、なぜか敷地内に棲みついてる謎の男。

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 男は言葉が話せななくて、ひきこもってばかりなのですが、心優しい娘に惚れていて、何かと窓から覗いたり、アプローチをしているようです。なんだか「アラバマ物語」みたいですね。

 この男が隣に棲みついている理由は終盤に主人公がさらっと(えっ、なんでこんなタイミングで?)って時に説明するんですけど、どうしてそれを今まで家族に話していなかったのかはまったく理解できませんでした。

 

 そして、この序盤の設定だけで何か思い出しませんか?

  1. 主人公は農夫
  2. 娘は進学を控えている
  3. 地球に危機が迫る……

 

インターステラー ブルーレイ&DVDセット(初回限定生産/3枚組/デジタルコピー付) [Blu-ray]

 そう、昨年末話題になったクリストファー・ノーラン監督の大作「インターステラー」ですね。奇遇なことに僕が本作のDVDを入手したのは「インターステラー」鑑賞3日後のことでした。たぶん5次元人か中古レコード屋の幽霊が引き寄せてくれたんだと思います。

 CGをほとんど使わないという点や、最終的には愛が人類を救うというのも共通点ですね。えっ、規模がまったく違うって? この時代にCGは無いだろうって? いやいや、ほぼインターステラーでしょ。

 

時代を先取りした設定

 やがて飛行機が上空を通過するような音がして、そこから冒頭でみずから説明した通りに《刺客》の洗脳作戦が始まります。まだ人間を洗脳するほど力は強くないので、操るのはペットや家畜、野鳥などのそこらへんにいる動物たち。

 一応、植物も支配できるって最初に言ってたけど、本編で特にそういうシーンはありませんでした。植物を操って地球の酸素濃度を薄くするっていう方法をとられていたらどうしようもなかったのでラッキーですね。

 

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家に入りたがっている犬飼い主を襲う愛犬デューク!

犬が操られるSF映画といえば「遊星からの物体X

遊星からの物体X [Blu-ray]

 

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サイレント映画さながらのコミカルな音楽と動きでずっこける隣の牧場主!

実はこの俳優チャップリン映画でおなじみのチェスター・コンクリン

「独裁者」で髭を剃られていた客です。


ハンガリー舞曲のヒゲ剃り - YouTube

 

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そして繰り返し同じような仰角から舞い降りてくる鳥!(車がクソまみれだ!)

もちろんこれはヒッチコックの「鳥」

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 なんだか動物が襲ってくる!という展開のわりに、それを撮るだけの技術が無いから、どこか絵面がのんびりしてるんですよね。犬も牛も鳥も基本的には別カットで動いてるところ撮っているだけだし。

 家に入りたがっているだけの犬は銃で応戦された後、斧で返り討ちに遭って、のそのそと牛に迫られた老人はそのまま死亡(マジか)。見せられる映像と結果のギャップがすごい。

 

 それにしても出るわ出るわ。「アラバマ物語」「インターステラー」「遊星からの物体X」「鳥」いろいろな名作の要素が出て来ますね。

 しかし「百万の眼を持つ刺客」の製作年は1955年。実を言うと、この中では一番古いんです。つまりこの映画は映像化の技術や予算が無かっただけで、アイデアだけなら時代を先取りしまくっていたんですね。

 だいたい50年代というと、戦後にしのび寄り始めた共産主義の影から、小説の方で侵略ものが流行り始めた頃で、映画としても「宇宙戦争(1953年)」に次ぐくらいの古典といえる。そんな頃から単純に宇宙人が攻めてきた!ではなく、静かに洗脳が始まった!という設定で一本作ろうとしたのは、なかなかすごいことではないでしょうか。

 やはり傑作なのでは!?

 

 ※以降、結末にかけての完全なネタバレ含みます。 

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「ノスタルジア」「惑星ソラリス」etc.映像詩人タルコフスキーの長編Blu-ray出そろう

入手困難からの一転攻勢 怒涛のBlu-ray

 今までタルコフスキーといえば、その知名度のわりにDVDの出荷枚数が少なく、2000年代初頭に発売されたDVDのほとんどが中古やオークションで10000円以上のプレミアをつけるという状況にあった。

 今でこそBlu-ray化によって価格も下がってきてはいるが、まだプレミア価格をつけている出品者もちらほら。まあ、コレクターズアイテムとしての価値はあるかもしれないが。

 また、レンタル店で借りようにも「惑星ソラリス」が置いてあればいい方で、名画座で上映されようものなら多少遠方からでも足を運ぶ映画ファンも多かったとか。

 それが2013年に発売された「惑星ソラリス」「僕の村は戦場だった」「アンドレイ・ルブリョフ」「鏡」の4作、今年3月の「ノスタルジア」、そしてつい先ごろ同時発売された「ストーカー」「サクリファイス」によって一気にBlu-rayが出そろった。

natalie.mu

 しかし、入手難易度や値段以上に苦しかったのは、なんといっても画質の問題だろう。かくいう僕も図書館のAV資料で1998年発売の「鏡」を借りたことがあるのだが、元々悪い自分の視力がさらに低下したかと思うような画面のぼやけっぷりと暗さ(ハイライトが無い)に泣きを見た覚えがある。

 その美しさから映像の詩人とまで呼称されるタルコフスキー映画の真髄を味わうには、科学の発展――Blu-rayの登場を待つしかなかったのである。(もちろん映画館のフィルム上映で見るに越したことはない)

 

タルコフスキーBlu-ray

 

 僕はまだ「アンドレイ・ルブリョフ」と「ノスタルジア」しか購入していないのですが、間違いなく永久保存版といえる出来でした。「ノスタルジア」のパッケージはちょっと残念でしたが、「ルブリョフ」は高級感もあって気に入っています。

 ただ、諸所のレビューを読むかぎりでは、Blu-ray化にともなっても「惑星ソラリス」や「僕の村は戦場だった」は及第点、乃至は落胆している方もいるようで。フィルムの状態も良くないだろうからリマスターにも限界があるのだろうか。

 やはり更なる科学の発展を待つしか……。

 

TSUTAYA・GEOなどでレンタルも開始

「ストーカー」「サクリファイス」の発売日である6/10から全国で一斉に「ノスタルジア」も含めたレンタルが解禁されています。HDリマスターDVDのみの取り扱いらしいですが、ご家庭でも気軽にタルコフスキーを楽しめる時代になったわけです。

 見る順番としては古→新と見るに越したことはないのですが、基本的には気になったものから見て差し支えないと思います。それぞれジャンルは違っても、わりと共通する事項が多いので、その辺りの作家性に目を見張らしても楽しめるのでは。

 ただ、やはり「ノスタルジア」「サクリファイス」はテーマ的にもそれまでの作品を踏まえた上での、集大成的なものがあるので、最後に回した方がより楽しめると思います。

 よくタルコフスキーは眠たくなるという人が多いので、きっちりと睡眠をとって、万全の態勢で挑みましょう。「アンドレイ・ルブリョフ」なんかは3時間あっても、アホみたいに面白いので、そこから入るのもいいかもしれません。

「her/世界でひとつの彼女」――代筆業という“中国語の部屋”

her/世界でひとつの彼女 ブルーレイ&DVDセット(初回限定生産/2枚組) [Blu-ray]

Siriと恋する近未来

マルコヴィッチの穴」「かいじゅうたちのいるところ」など、へんてこな世界で悩み生きる人(かいじゅう)たちを描いてきたスパイク・ジョーンズの最新作は、人工知能OSサマンサ(声・スカーレット・ヨハンソン)が代筆業を営むセオドア(ホアキン・フェニックス)と恋に落ちる近未来SF。

 眠れない夜にSiriと「眠れない」『電気羊の数を数えてみたらいいですよ』「子守唄歌って」『聞くに堪えないでしょうからやめましょう』とか会話している身としては、めちゃくちゃ親近感が湧いてしまう設定。しかし、突きつけられる実際問題の数々に、そんな気分が甘かったことを思い知らされる。Siriにふざけてプロポーズとかしてる場合じゃなかったよ……。

 この映画を最初に見て意外に思ったのは、今まで見てきた人工知能ものにおける、あくまでも相手は《非人間的》な対象である、というファーストインプレッションが軽々と乗り越えられてしまうこと。オタク的な人間がA.I.に拠りどころを求めたり、普通の人間が精巧なA.I.を不気味に思ったりといった、旧来の大きく溝を開けた第一歩がない。

 そこはもはや語り尽されたものとして軽やかに踏み出される。セオドアは気兼ねなく声だけの存在であるサマンサに話しかけ、仕事に私事にフル活用し、仲を深めていく。実際に現実が≪未来≫に近づきつつある今、むしろ受け入れられやすい形をとったとも言えるし、そこをあっさりと越えてくる辺り、やはり監督の時代感覚はすぐれているのだろう。

 

あらすじ

 近未来のロサンゼルス。妻と別れたばかりのセオドアは人工知能OSサマンサをインストールし、始めこそ戸惑いながらも彼女の意外なほどの人間らしさに惹かれていく。四六時中行動を共にすることによって二人の関係は変化し、またサマンサはA.I.として急速に成長していく。やがて人工知能が人ならざる者の壁を越えようとする時、事態は思わぬ方向に向かい始める。

 

※ここからネタバレを含むのでご注意ください。

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「地獄の英雄」――巨匠ビリー・ワイルダーの早すぎた傑作

地獄の英雄 [DVD]

“人間の魂の値段についての映画”

 このブログのタイトルを「地獄の映画録」に決めた瞬間、最初に書くべきレビューの候補は3つあった。一つはもちろんフランシス・F・コッポラの「地獄の黙示録」。もう一つは最近のところで園子温の「地獄でなぜ悪い」。

 前者は3時間もある上にいろいろと荷が重すぎる。後者はもうちょっと別のタイミングで話がしたい。ならば個人的にも大傑作だと思っているこれしかないだろう、ということで抜擢されたのが、ビリー・ワイルダー「地獄の英雄」である。

 

 1950年「サンセット大通り」でハリウッドの内幕を赤裸々に暴いた時、「ワイルダーとかいう若造め。誰のおかげで飯が食えると思っているんだ」と腹を立てる大物プロデューサーに対して「私がワイルダーだ。くそったれ!」と言い放った44歳の若造(?)が、その翌年に満を持して発表した本作。実は、興行的には散々だった。さぞや某プロデューサーもほくそ笑んだだろう。

 しかし、ワイルダー自身は本作について次のように語っている。

 

「長いあいだ、『自分の映画のなかで気に入っているものはどれですか?』と訊かれると、「『地獄の英雄』だ」と答えていた。あの映画は好きだよ。誇りに思っている。人間の魂の値段についての映画なんだ。

ビリー・ワイルダー―生涯と作品 (叢書・20世紀の芸術と文学)

 

 興行的には失敗だったと認めながらも、自分だけは見捨てないでおこうとしたワイルダー。出来の悪い子ほどかわいいってやつですかね。しかし、そんな出来の悪いと思っていた子が今では「サンセット大通り」と並ぶ代表作として扱われ始めているのだから、当時はまだ時代が追い付いていなかったのだ。

 厳密に言えば、人間の魂、その価値について揺さぶられる作品に時代がどうこうは関係ない。本作の主題は公開から今に至るまで一貫して普遍性を保ち続けている。

 

あらすじ

 主人公のテイタムは世間の注目を浴びるためなら平気で記事をでっちあげる流れ者の記者。そんな彼がド田舎で出くわした落盤事故をきっかけに、一世一代のチャンスとばかりに世間を扇動し始める。生き埋めになった男、その妻、保安官、現場責任者などを取り込んで、現地からスクープを発信し続けるテイタム。私欲に目がくらんだ人々、駆けつける野次馬たち。救出現場はいつしか行楽地と化していき……。

 

地獄=モラルの底

 あらすじを読んだだけでわかると思いますが、ひどい状況です。なかなか助けに入らない仕事仲間。売れる記事に仕立て上げようとする新聞屋。次期当選のことしか頭にない保安官。意志薄弱な工事責任者。いい奴が一人も出てこない。中でも生き埋めになった男の妻が酷いのなんの。夫の一大事に何やってんのかと思ったら、いきなり旅立とうとしてますからねこの人。その後の行動も……

 イーストウッド監督のミュージカル映画「ジャージー・ボーイズ」で本作の一場面(平手打ちのシーン)が使われていたのも記憶に新しいですが、あのシーンを本編で見ると余りのおぞましさに震撼します。 

 そしてこの映画で何より恐ろしいのは続々と集まってくる野次馬たち。個々の人物についてはいくらも批判的に描くことはできる。しかし、この群衆に限っては、もはや人間の業とでも言うべき、おぞましさを感じ取るしかない。到着した汽車から人々が我先にと駆けて行く光景。まさに地獄だ。

 ただの野ざらしに近かった荒野に柵が立ち、ゲートが作られ、金をとるようになる。それも発展具合に応じて、いつの間にか値上がりしていく。こういった皮肉や気の利いた演出を短いカットで見せるのがワイルダーは本当にうまい。

 

「悲惨な記事ほどよく売れる」

 テイタムの言葉通り、穴の中に生きたまま閉じ込められるという他人の不幸=蜜の味に寄り集まってくる人々。それぞれの思惑がモラルの底でうごめく様は、みんなまとめて蟻地獄に吸い込まれていくかのようだ。

 

英雄不在の物語

 周囲が独善的な人間ばかりな手前、テイタムの所業も始めのうちは良いところも見える。俺が助けると穴に飛び込んだ行為や、注目を集めた方が救助隊や医者は集まるという先見性。女をひっぱたくところも、道義心と利己心のない交ぜだろう。始めのうちは魅力的な人間に映る。

 しかし、次第に増していく傲慢さ、金の亡者と成り果てていく過程で、内在する矛盾に葛藤する描写も入る隙を無くしてしまったように思える。そこで共感や感情移入が得られない人物に成り下がってしまったのは残念だった。最後まで惹きつけられはするのだが、その顛末に見出されるのは希望というよりも、反面教師としての教訓だった。

 

 人の不幸を餌にする話題先行のジャーナリズムを批判し、なおかつ、ありのままの真実の方がよっぽど陰惨で目を向けがたいという皮肉。本当の英雄はいったい誰なのか。

 そもそもジャーナリズムに英雄は必要なのだろうか。記者は事件の当事者になってはならない。ましてやその振る舞いによって加害者や共犯者になってなど。地獄の英雄。確かにそこに地獄はあった。しかし、これは英雄不在の物語なのではないか。

 被災者の涙を誘うレポーター。事件をねつ造する新聞。真実だけを公平、中立に報道することは、今もなお問われ続けている。

 またそれを享受する大衆側の愚かさも、そう簡単に変わることはないのだろう。