地獄の映画録

「ここは地獄なのかよクソ!」が口癖の映画レビューです

「ラブ&ピース」

f:id:kslvc:20150704231501j:plain©「ラブ&ピース」製作委員会

人と亀の織りなす愛の特撮コメディー

 近頃やけに制作ペースの早く、評判もまちまちな園子温監督の新作。だが今回は原作ものではなく、「地獄でなぜ悪い」に続くオリジナルと来たら期待は高まる。

 正直、あらすじも聞かず、予告も見ずに行った身としては、同じように何も知らない状態で映画館まで行って、冒頭からその超展開っぷりを楽しんでほしいのですが、雰囲気を掴んでおきたい方のために予告編も貼っておきます。もちろんすでに観に行くつもりの人は、この記事も読まないに越したことはありません。(じゃあ、これを書く意味ってなんだ?ってなるのが新作レビューの難しいところだな……)

 

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 ラブ&ピースといえば60年代、ロックと反戦の合言葉。わざわざそんな表題を掲げて描かれる物語は、田原総一朗水道橋博士宮台真司津田大介茂木健一郎という錚々たる面子の討論番組から始まり、主人公である冴えないサラリーマンがデパートの屋上で買った亀に「ピカドン」と名付けるなど、コミカルさの中に明らかな風刺を孕んでいくスタイル。始めこそ、その露骨さに少し辟易とする。

 しかし、完全に茶番と化した人間たちの行動や、風刺にもなりきらない荒唐無稽な展開にだんだんと現実感も薄れ、もう好きにしてという感じになっていく辺りで、やっぱり園監督だ、と安心するものがあった。最終的にこれがやりたかっただけだろという特撮シーンは、序盤の伏線を回収しながら謎のカタルシスを呼ぶ。

 ポスターを見て恋愛映画だと勘違いした客がポカーンとしながら見て、それでも見終わった後には「泣けた~」とか言ってる光景が目に浮かぶ。明らかにしっくり来ていなさそうな顔なんだけど。そんな光景すら映画の中に皮肉として織り込まれているのは、少し意地が悪いなと思う。

 

夢の残骸と再生工場

 ロックスターの道を歩む主人公パートとは別に、西田敏行と捨てられた玩具や動物たちによるト○ストーリー的な地下パートがあるのだが、そこではクリスマス商戦を中心とした消費社会の風刺が描かれる。

 60年代のラブ&ピース。その夢は1970年ワイト島で行われた世界最大規模のフェスティバルにおいてロックが商業主義に傾き、それに反発した暴動によって会場が破壊し尽くされ、ゴミと残骸だらけになったことで終焉を迎えた。

 一時の熱狂や流行は夢のように潰えて、後にはその残骸だけが残される。「ラブ&ピース」もそれを十分に承知の上で、その大きすぎる夢に伴う代償というものを地上パートで特撮によって再現し、また、それでももう一度やり直すんだという再生への意志を地下のパートで表明したのだろう。

 その点、園監督自身が商業主義に片足を突っ込んでいるのは、かなり皮肉なことだと思うし、日本の映画業界においてどれだけ自分の作りたい映画だけを作るのが難しいかを実感させられるのだが……。

 

 始めから「人の望みをかなえる」という茫洋とした愛ありきのストーリーだからか、最後に確かめられる愛の余りにも等身大さにぼやけてしまうところはるかもしれない。監督が作詞作曲したぬるい曲を散々聞かされた後の「スローバラード」でごまかされた部分はあるかもしれない。

 それでもアホくさい映画を見たという軽やかさと謎の感動とで、妙に心に残る作品でした。

 

 「愛し合ってるかーい!?」

※追記

「怪獣文藝の逆襲」というアンソロジー本に園子温監督が「孤独な怪獣」という短編を寄稿しています。内容は監督自身の一人称によって自主制作時代を回想したもので、俺は怪獣映画を撮りたいんだ!というようなことを叫んでいます(笑)

『ラブ&ピース』は25年前、初めて商業映画を撮ろうと思って書いた台本。

鬼才・園子温監督、「僕の集大成」と語る『ラブ&ピース』への思い! 園流の映画アプローチ方法を語る/<視線の先>インタビュー - トレンドニュース

  インタビューでも上のように語っている通り、もしかしたら短編の中で語られる脚本というのは「ラブ&ピース」のことなのかもしれません。

 

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